家なき子に終止符

特段、面白いことでもないと思っていたから、何かで発表するようなことでもないと思っていたのだけど、半年くらい家がありませんでした。

家がないというと語弊があるな、千葉の奥のほうに大学生の妹の家があって、荷物はそこに置いておかせてもらって居候していたんだけど、取材だとかいろいろで、結局、東京に週6で通っていて、次の日が早いとか、連日東京に出るから交通費がもったいないとか考えていたら、ふらふらするような生活が続いたという感じだ。

その日の気分で帰ったり、帰らなかったり、会いたい人に電話をして泊めてもらったり、1人になりたいときはスーパー銭湯とか、ネカフェに泊まった。布団がないおうちでは床に寝た。元々、外国の空港のトイレで寝たり、48時間高速バスに乗りっぱなしでもぐうすか寝れるタイプの人間だし、虫とか汚さみたいなものもわりと平気だし、無頓着な人間でよかったと心底思っている。

荷物は、ザックと手持ちカバン。入っているものに大したものはなくて、パソコンとカメラに本、貴重品のほかは、メガネとコンタクトの洗浄液と歯ブラシがあれば事足りてしまう。服は着ているもののほかに、もう1着。パジャマは荷物になるから持たないし、借りると着替える手間になるから着ない。起き抜けにいそいそと化粧をしたり、髪の毛をセットしたりして洗面台を占拠するのも、わたしより断然朝が忙しい家主たちに申し訳ない気がするから。だから、セットしなくて良いように、自ずと髪は結わえるように、家を出る直前の化粧は口紅だけになった。

不便じゃないんですか?とか、疲れ取れないでしょ?と、よく聞かれるけれど、慣れれば別にそんなことはない。むしろ、家に帰る前提での軽装で歩くほうが怖い。家を持たない暮らしについて、ミニマリスト的感覚だね、と言ってもらったことがあって嬉しかったけど、正直なところ、生粋のミニマリストなのかは疑わしい。ただ、いつ何時、どんなことが起こっても、自分の身ひとつで何とかできる状態にしておきたいというのは確かだ。そう考えると、ミニマリストの領域に入るのかな、まぁどっちでもいいや。皆さんに決めてもらおう。

帰る家もなく、どこかの会社に囲われるでもなく、実家の、という意味以外に自分の家族もなく、わたしは完全に自由だったし、いつも誰かと一緒だったから寂しくもなかった。だからときどき、憐みの目で見てくる人があったけど、気分を害すのとはまた違う気持ちというか、何と言うかあんまりピンとこなかったように思う。

それでも拠点を持ちたいなと思ったのは、住みたい街が見つかったからだ。波長のあう人たちがたくさんいて、磁場が強い街。もの書き志望の人間があの街で風呂なしアパートに住むなんて、ベタすぎる展開に胸やけがしそうだけど、中学生のときから憧れて、東京にまでわざわざ遊びにいくくらいだったんだから、あの頃のわたしの夢を叶えてあげたと思えばいいか。

ちなみに家に風呂がないと言ったら、父親が嬉々として、引っ越し祝いにたらいを買ってくれることになった。昔、オリーブオイルが凍結するほど寒い家に住んだときは、ストーブでなく、作業用のつなぎを送ってくれた父。やっぱりわたしは、父の子どもだと思う。

下北沢のボロ屋に住むよ。煩悩ファンタジー世界への通行証は、一升瓶か角瓶でよろしくね。

 

 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中