日常

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Ms.Communication

明日、実験的参加型パフォーマンスを行います。

以下、ステートメント

Ms.Communication

――お前の本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じてできない。

そう、ゲーテは言いました。しかしながら、これが全面的な真実であるかと言えば、そうではないと思います。基本的に自分含めて人間の根源は性悪であると信じているわたしにとって、腹の底から出るものが真珠のように美しいものだとは到底思えません。恐らくそれは、ドギリとするような醜いもの。そんなものをいきなり眼前に押し付けられたら、どんなに相手に好意を抱いていても、一瞬ひるんだり、もっと言えばどこか裏切られたような気持ちになったりするのではないでしょうか。

私がコミュニケーションについて懐疑的なのは、多くの人と接するときに、この“ドギリとするような醜いもの”にあたる部分、すなわち“腹の底”を回避してのコミュニケーションがほとんどなのではないかということです。いかに波風を立てないか、傷つけないか、傷つかないかを大事にするあまり、極めて表面的なコミュニケーションに終始する。私自身もコミュニケーションが苦手な類の人間なので、これ自体がどうのこうの、良い悪いというわけではありませんし、「親の心、子知らず」「子の心、親知らず」とも言われます。対話の必要性が叫ばれながら、それでも大小問わず争いが絶えないのは、本質的に他者のことは理解できないという事実にすべて帰結すると言っても良いのかもしれません。しかし、たとえ本当に他人の心が一生理解し得ないとしても、ギリギリまで歩み寄る努力を続けたいと、私はそう思うのです。

コミュニケーションに正しさや正義といったものはないと思いますが、人間全般の適切な関わり方とは一体どのようなものなのでしょうか。

それを模索するため、ここに世の中のコミュニケーション下手の結晶のような女性を用意しました。彼女の名前は“Ms.Communication”。彼女は言葉を発しませんが、人の顔色をよく読み、敏感に察知します。彼女との関わり方の中で、あなたの正解を導き出してください。いいえ、もちろん、正解などないのです。正解などないのでありますけれども、私もあなたとの関わりの中で、自分なりの答えを模索していきたい所存です。

2016.02.13
佐々木ののか

 

日時:2月13日(土)16時~、17時~(各10分間)
場所:バーはな (新宿区歌舞伎町1-3-10寺子屋の2階)
入場料:1,000円+ワンドリンクオーダーお願いします。
※バーのチャージです。ごめんなさい。

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隣のランニングマンズ

12月に新居に引っ越してから早1か月。あの築半世紀以上ものおんぼろアパートでの生活について少し話しておこうと思う。

わたしのことをよく知らない人のために少し書いておくと、わたしは半年前まで住んでいた家を引き払う際に家具家電をほとんど捨ててしまったので、荷物がほとんどない。引っ越し後1週間は布団が無く、その後、寒さに耐えかねて寒い寒いと言っていたら、後輩がはるばる茨城からストーブを届けてくれた。しかも、帰り際「なんだか物語が始まりそうな家ですね」というメッセージを残して去った。素敵な後輩である。

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▲しかも私の留守中に物だけ置いて去っていくイケメンぶり

お風呂もないし、トイレも和式なので、ガス給湯器も壊れていたし、エアコンも死ぬほど汚れているので使えない、と、色々と不便なのだが、それでもやっと手に入れたわたしだけの城。誰が何と言おうと、住み心地は最高だ。

ただ、1つだけ困ったことがある。壁が薄いことだ。しかも、極端に。以前、住んでいたレオパレスでも壁が薄く、隣のスマホのバイブ音がかすかに聞こえたものだったが、今回の部屋に関しては、かすかに、というレベルではない。自分のケータイかと錯覚してしまうほどクリアに聞こえるのである。

これに気づいたときはショックだった。わたしが連日、友人と品のない話をしては、ガハガハとこれまた品のない笑い方をしていたことや、月に1度くらい来る悲しみの波で号泣していたこと、お酒を飲んでダンスミュージックをかけてクラブ気分で踊り狂っていたことなどがバレてしまうからである。

一度、「うるさい」の意味を込めてか、ドンっと壁を叩かれたこともあったので、やはり聞こえていたのだと思うし、それについては申し訳ない気持ちでいっぱいだが、迷惑をかけているのは何もこちらだけではない。隣に住んでいる(恐らく)おじさんの夜中のいびきが聞こえるのだ。

しかも、隣のおじさんがグゴーと大きな音を立てて、いびきをかいたかと思うと、合いの手を打つかのように、それよりほんの少し小さなボリュームで隣の隣のおじさんの、グゴーという音が聞こえる。「ラップバトルかよって感じだね」と知人の編集者さんに言われたが、阿吽の呼吸とはまさにこのことだ。

このいびきが聞こえはじめると、まず眠れない。寝ているおじさんたちは全く悪くないが、正直迷惑だ。わたしは段々とイライラしてきた。それに、こんな大きないびきをかくのだから、きっとすごく大きい人なんだろう……

そう考えているうちに、おじさんたちのことが気になってきた。隣のおじさんは、隣の隣のおじさんは、一体どんな顔をしているんだろう……。どんな格好をして、どのくらいの背なんだろうか……。毎晩、いびきを聞く度にわたしはまだ見ぬおじさんたちのことを考えながら、眠った。

そして、ある朝のことである。わたしが、ゴミ出しをしようと何度か部屋を出入りしていると、隣とその隣のドアが開くのがわかった。おじさんたちが外に出てくる。チャンスだ。

じっくりと目を凝らして、わたしはその決定的瞬間を捉えた。そして、正直なところギョッとした。出てきた2人のおじさんは真冬なのに2人ともランニングにももひき、サンダルといういで立ちだった。しかも、頭はつるつるとしていて、隣のおじさんは細く、隣の隣のおじさんはやや恰幅がいいものの、格好からヘアスタイルまで瓜二つだった。ドッペルゲンガーだ……。

瓜二つのおじさんは互いに真顔で挨拶をし、顔を合わせても死ぬことはなかった。わたしは開いた口がふさがらないままに、挨拶するのも忘れて、2人を目で追った。どうりで、息がぴったり合うわけだ。

そうして隣のランニングマンズは、寝ている間も仲良く真夜中のラップバトルをしている。その日によって2人の勝敗は異なるが、そのラップバトルを聞かされて眠れぬ夜を過ごすわたしは万年完敗です。

「ルー一辺党」恨みを買う

食べ物の恨みは怖いとよく言うが、食べ物の恨み、と聞いて、わたしの頭に真っ先に思い浮かぶのはカレーである。しかもルーのほう。カレーというのは、カレールーのことなのではないか、とおっしゃる方もおられるかと思うが、今回の話は、どこまでをカレーと定義するのかが主軸になってくるので、ここは少々慎重にいきたい。

そもそも、皆さんはカレーをどうやって食すだろうか。カレーとご飯を別々のお皿に盛る「インディアン・欧風党」か、ご飯を皿の片側によそい、もう片側にルーを注ぐ「ハーフカレー党」か、はたまた、ご飯を平たくよそい、無作為にカレーをかけて自然なままを楽しむ「オーガニック党」か、ご飯の中心に穴を開け、そこにルーを流し込む「ハワイ マウナ・ロア党」など、様々な党派があることと思う。カレーに関しては、混沌とした無秩序であって良いとわたしは思っている。それぞれの食べ方を信じて突き進んでほしい。

かく言うわたしはカレーをカレーライスとしても食べるが、カレーをルーだけでも食べる。お腹は苦しいけれど、これっきりでカレーとおさらばしてしまうのは文字通り「口惜しい」というときに、小皿にルーだけ盛って食べるのがこの上ないおいしさなのだ。わたしは、このタイプを「ルー一辺党」と呼んでいるが、今回はこの「ルー一辺党」が巻き起こした事件の話である。

あれは確か、大学5年生の夏のことだったと思います。就職活動で知り合った女の子と美術館に行って、ランチをしたときのことです。行ったのは新国立美術館。周囲には高級店しかなく、ノープランで来たわたしたちはしばらくそのあたりをさまようこととなりました。

しかし、運よく和食の高級料亭が昼間は1,000円のバイキングをやっているのを見つけ、わたしたちは意気揚々とその店に入ったのでした。そのバイキングは本当に1,000円なのかと不安になるほどおいしく、また、わりとよく食べるほうなわたしでも、全ては口にできないほど種類が多かったのを覚えています。

サラダを食べ、焼きそばを食べ、ハンバーグに牛のサイコロステーキ、炒飯、刺身、ドルチェ……をうまいうまいとお腹の中に詰め込み、もう食べられないというときに、カレーが目に入りました。

わたしは邪道も邪道なので、ビールを飲みながらスイーツを食べられるし、デザートで締めた後にメインに戻れるタイプでして、このときもスイーツを食べて「お開き感」があったにも関わらず、カレーを取りに戻ったのでした。

当然のことながらお腹はいっぱいなので、例の「ルー一辺党」流に、小皿にルーを注いで、スキップしながら座席に戻ると、怒りながら泣いているような何とも言えない顔で、友達がこちらを見ていました。

敵意は明らかにわたしに向けられているのですが、何が気に障ったのかてんで見当もつきません。仕方がないので、そしらぬふりをして「どこか気分でも悪い?」と聞いてみました。そうすると、そのすごい顔のまま、彼女は口を言ったのです。

「どうして、ルーだけ食べるの?」

どうして、って言われてもな。そう思い、だってお腹がいっぱいだけど、カレーを食べたいから、と言うと、彼女は「根性が曲がってる!」とおおよそ泣きながら叫びました。そうして、「わたしだって、小さい頃、カレーのルーだけ食べたかったのに、そしたら、お母さんにすっごく叱られて、なのにのんのんは小さいころからカレーのルーだけ食べててずるい。就活だってすごく良いところ決まってたのに、どうしてそっち蹴ってメーカーなんか行くの?」と言って、本格的に泣きながら、こちらを睨んできます。

わたしはすっかり困ってしまって、「カレーのルーだけ食べたいなら、今からでも食べたらいいじゃん。就活だって、新卒で入った会社にずっといなきゃいけないわけじゃないんだし、転職だってできるし、良いじゃない」と、穴の多い大風呂敷みたいな慰みをするも、火に油を注ぐだけで、大炎上。その後も、「信じられない」とか「もう絶交だ」とかいう言葉を「へへへ」と笑顔で交わしながら、ルーを早々に片づけたのを覚えています。

その後、人前でカレーのルーだけ食べるというのが、しばらくの間、トラウマになって、カレーを食べるときに「ルーだけ食べても許せる派?」と、質問して回っていたのですが、わたし統計によれば、「食べる食べる~」と、「信じられない」がだいたい半々の割合でしたね。

というわけで、世間の親御さんはカレールーだけ食べようとする子どもにきつくお灸をすえることをせず、また、カレールーだけを食べるということは必ずしも世の中の常識でないのだということをしっかりと教えてあげてくださいというのが、本日の教訓です。