日常

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“Ms.Communication”を終えて

2月13日に初めてのパフォーマンスであります、“Ms.Commucation”を終えました。このパフォーマンスの表題、“Ms.Commucation”は大好きな作家であります、川上未映子さんの『ミス・アイスサンドイッチ』から、内容は、チェコの映像作家、シュヴァンク・マイエルの『対話の可能性』からヒントを得た部分はありますが、元々は私の抱えてきた問題意識によるものです。

私は兼ねてよりコミュニケーションが苦手でした。というより、現在進行形で苦手です。仕事柄いろいろな方に会う機会があり、よく社交的だとかときどきは図太いなどとも言ってもらうこともありますが、これは間違いなく、わたしが努力で補っている部分、毎朝、錆びついた鉄にメッキを塗って塗ってして、ようやく人様の前に出られるようにしている部分です。なので、たまにチューニングが狂ったときは大変。言いたいことが言葉にできずに、ひたすら目を白黒させて不審な挙動を見せるわたしがいます。

当日も、近年まれに見るコンディションの悪さで世の中にチューニングすることができず、“Ms.Commucation”を演じるには最高の日となりました。

パフォーマンス中は“Ms.Communication”が完全に乗り移り、(あるいは内側から湧いてきた、というほうが正しいかもしれません)自分としては想定していたパフォーマンスが披露できたと思っています。

結局、お客さんは2名でしたが、感想を聞いてみたところ、「戸惑った」「胸が痛んだ」「狂気じみていた」「宗教のようだった」という答えが返ってきたので、わたしの伝えたかったことは大方伝えられていたようです。

緊張したのはもちろんですが、今回のパフォーマンスが終わった後はエネルギーを完全に使い果たしてしまったような感じで、できて月1回だなという印象です。

そして、今回の機会はすごく良かったと思う一方で、絶対に開けまいとして押さえつけていたパンドラの箱を開けてしまったような気持ちでいます。坂を転げ落ちるベビーカーのように、もう誰も、わたしでさえも、止めることができないのだなと、はっきり自覚した次第です。

機会をくれて、幾度にも渡るステートメントへのフィードバックに付きあってくれた「Barはな」の奥平さん、来てくれた2名のお客さん、本当にありがとうございました!

――いつか100万人の琴線、ぶっちぎる。

佐々木ののか

Ms.Communication

明日、実験的参加型パフォーマンスを行います。

以下、ステートメント

Ms.Communication

――お前の本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じてできない。

そう、ゲーテは言いました。しかしながら、これが全面的な真実であるかと言えば、そうではないと思います。基本的に自分含めて人間の根源は性悪であると信じているわたしにとって、腹の底から出るものが真珠のように美しいものだとは到底思えません。恐らくそれは、ドギリとするような醜いもの。そんなものをいきなり眼前に押し付けられたら、どんなに相手に好意を抱いていても、一瞬ひるんだり、もっと言えばどこか裏切られたような気持ちになったりするのではないでしょうか。

私がコミュニケーションについて懐疑的なのは、多くの人と接するときに、この“ドギリとするような醜いもの”にあたる部分、すなわち“腹の底”を回避してのコミュニケーションがほとんどなのではないかということです。いかに波風を立てないか、傷つけないか、傷つかないかを大事にするあまり、極めて表面的なコミュニケーションに終始する。私自身もコミュニケーションが苦手な類の人間なので、これ自体がどうのこうの、良い悪いというわけではありませんし、「親の心、子知らず」「子の心、親知らず」とも言われます。対話の必要性が叫ばれながら、それでも大小問わず争いが絶えないのは、本質的に他者のことは理解できないという事実にすべて帰結すると言っても良いのかもしれません。しかし、たとえ本当に他人の心が一生理解し得ないとしても、ギリギリまで歩み寄る努力を続けたいと、私はそう思うのです。

コミュニケーションに正しさや正義といったものはないと思いますが、人間全般の適切な関わり方とは一体どのようなものなのでしょうか。

それを模索するため、ここに世の中のコミュニケーション下手の結晶のような女性を用意しました。彼女の名前は“Ms.Communication”。彼女は言葉を発しませんが、人の顔色をよく読み、敏感に察知します。彼女との関わり方の中で、あなたの正解を導き出してください。いいえ、もちろん、正解などないのです。正解などないのでありますけれども、私もあなたとの関わりの中で、自分なりの答えを模索していきたい所存です。

2016.02.13
佐々木ののか

 

日時:2月13日(土)16時~、17時~(各10分間)
場所:バーはな (新宿区歌舞伎町1-3-10寺子屋の2階)
入場料:1,000円+ワンドリンクオーダーお願いします。
※バーのチャージです。ごめんなさい。

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隣のランニングマンズ

12月に新居に引っ越してから早1か月。あの築半世紀以上ものおんぼろアパートでの生活について少し話しておこうと思う。

わたしのことをよく知らない人のために少し書いておくと、わたしは半年前まで住んでいた家を引き払う際に家具家電をほとんど捨ててしまったので、荷物がほとんどない。引っ越し後1週間は布団が無く、その後、寒さに耐えかねて寒い寒いと言っていたら、後輩がはるばる茨城からストーブを届けてくれた。しかも、帰り際「なんだか物語が始まりそうな家ですね」というメッセージを残して去った。素敵な後輩である。

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▲しかも私の留守中に物だけ置いて去っていくイケメンぶり

お風呂もないし、トイレも和式なので、ガス給湯器も壊れていたし、エアコンも死ぬほど汚れているので使えない、と、色々と不便なのだが、それでもやっと手に入れたわたしだけの城。誰が何と言おうと、住み心地は最高だ。

ただ、1つだけ困ったことがある。壁が薄いことだ。しかも、極端に。以前、住んでいたレオパレスでも壁が薄く、隣のスマホのバイブ音がかすかに聞こえたものだったが、今回の部屋に関しては、かすかに、というレベルではない。自分のケータイかと錯覚してしまうほどクリアに聞こえるのである。

これに気づいたときはショックだった。わたしが連日、友人と品のない話をしては、ガハガハとこれまた品のない笑い方をしていたことや、月に1度くらい来る悲しみの波で号泣していたこと、お酒を飲んでダンスミュージックをかけてクラブ気分で踊り狂っていたことなどがバレてしまうからである。

一度、「うるさい」の意味を込めてか、ドンっと壁を叩かれたこともあったので、やはり聞こえていたのだと思うし、それについては申し訳ない気持ちでいっぱいだが、迷惑をかけているのは何もこちらだけではない。隣に住んでいる(恐らく)おじさんの夜中のいびきが聞こえるのだ。

しかも、隣のおじさんがグゴーと大きな音を立てて、いびきをかいたかと思うと、合いの手を打つかのように、それよりほんの少し小さなボリュームで隣の隣のおじさんの、グゴーという音が聞こえる。「ラップバトルかよって感じだね」と知人の編集者さんに言われたが、阿吽の呼吸とはまさにこのことだ。

このいびきが聞こえはじめると、まず眠れない。寝ているおじさんたちは全く悪くないが、正直迷惑だ。わたしは段々とイライラしてきた。それに、こんな大きないびきをかくのだから、きっとすごく大きい人なんだろう……

そう考えているうちに、おじさんたちのことが気になってきた。隣のおじさんは、隣の隣のおじさんは、一体どんな顔をしているんだろう……。どんな格好をして、どのくらいの背なんだろうか……。毎晩、いびきを聞く度にわたしはまだ見ぬおじさんたちのことを考えながら、眠った。

そして、ある朝のことである。わたしが、ゴミ出しをしようと何度か部屋を出入りしていると、隣とその隣のドアが開くのがわかった。おじさんたちが外に出てくる。チャンスだ。

じっくりと目を凝らして、わたしはその決定的瞬間を捉えた。そして、正直なところギョッとした。出てきた2人のおじさんは真冬なのに2人ともランニングにももひき、サンダルといういで立ちだった。しかも、頭はつるつるとしていて、隣のおじさんは細く、隣の隣のおじさんはやや恰幅がいいものの、格好からヘアスタイルまで瓜二つだった。ドッペルゲンガーだ……。

瓜二つのおじさんは互いに真顔で挨拶をし、顔を合わせても死ぬことはなかった。わたしは開いた口がふさがらないままに、挨拶するのも忘れて、2人を目で追った。どうりで、息がぴったり合うわけだ。

そうして隣のランニングマンズは、寝ている間も仲良く真夜中のラップバトルをしている。その日によって2人の勝敗は異なるが、そのラップバトルを聞かされて眠れぬ夜を過ごすわたしは万年完敗です。

「ルー一辺党」恨みを買う

食べ物の恨みは怖いとよく言うが、食べ物の恨み、と聞いて、わたしの頭に真っ先に思い浮かぶのはカレーである。しかもルーのほう。カレーというのは、カレールーのことなのではないか、とおっしゃる方もおられるかと思うが、今回の話は、どこまでをカレーと定義するのかが主軸になってくるので、ここは少々慎重にいきたい。

そもそも、皆さんはカレーをどうやって食すだろうか。カレーとご飯を別々のお皿に盛る「インディアン・欧風党」か、ご飯を皿の片側によそい、もう片側にルーを注ぐ「ハーフカレー党」か、はたまた、ご飯を平たくよそい、無作為にカレーをかけて自然なままを楽しむ「オーガニック党」か、ご飯の中心に穴を開け、そこにルーを流し込む「ハワイ マウナ・ロア党」など、様々な党派があることと思う。カレーに関しては、混沌とした無秩序であって良いとわたしは思っている。それぞれの食べ方を信じて突き進んでほしい。

かく言うわたしはカレーをカレーライスとしても食べるが、カレーをルーだけでも食べる。お腹は苦しいけれど、これっきりでカレーとおさらばしてしまうのは文字通り「口惜しい」というときに、小皿にルーだけ盛って食べるのがこの上ないおいしさなのだ。わたしは、このタイプを「ルー一辺党」と呼んでいるが、今回はこの「ルー一辺党」が巻き起こした事件の話である。

あれは確か、大学5年生の夏のことだったと思います。就職活動で知り合った女の子と美術館に行って、ランチをしたときのことです。行ったのは新国立美術館。周囲には高級店しかなく、ノープランで来たわたしたちはしばらくそのあたりをさまようこととなりました。

しかし、運よく和食の高級料亭が昼間は1,000円のバイキングをやっているのを見つけ、わたしたちは意気揚々とその店に入ったのでした。そのバイキングは本当に1,000円なのかと不安になるほどおいしく、また、わりとよく食べるほうなわたしでも、全ては口にできないほど種類が多かったのを覚えています。

サラダを食べ、焼きそばを食べ、ハンバーグに牛のサイコロステーキ、炒飯、刺身、ドルチェ……をうまいうまいとお腹の中に詰め込み、もう食べられないというときに、カレーが目に入りました。

わたしは邪道も邪道なので、ビールを飲みながらスイーツを食べられるし、デザートで締めた後にメインに戻れるタイプでして、このときもスイーツを食べて「お開き感」があったにも関わらず、カレーを取りに戻ったのでした。

当然のことながらお腹はいっぱいなので、例の「ルー一辺党」流に、小皿にルーを注いで、スキップしながら座席に戻ると、怒りながら泣いているような何とも言えない顔で、友達がこちらを見ていました。

敵意は明らかにわたしに向けられているのですが、何が気に障ったのかてんで見当もつきません。仕方がないので、そしらぬふりをして「どこか気分でも悪い?」と聞いてみました。そうすると、そのすごい顔のまま、彼女は口を言ったのです。

「どうして、ルーだけ食べるの?」

どうして、って言われてもな。そう思い、だってお腹がいっぱいだけど、カレーを食べたいから、と言うと、彼女は「根性が曲がってる!」とおおよそ泣きながら叫びました。そうして、「わたしだって、小さい頃、カレーのルーだけ食べたかったのに、そしたら、お母さんにすっごく叱られて、なのにのんのんは小さいころからカレーのルーだけ食べててずるい。就活だってすごく良いところ決まってたのに、どうしてそっち蹴ってメーカーなんか行くの?」と言って、本格的に泣きながら、こちらを睨んできます。

わたしはすっかり困ってしまって、「カレーのルーだけ食べたいなら、今からでも食べたらいいじゃん。就活だって、新卒で入った会社にずっといなきゃいけないわけじゃないんだし、転職だってできるし、良いじゃない」と、穴の多い大風呂敷みたいな慰みをするも、火に油を注ぐだけで、大炎上。その後も、「信じられない」とか「もう絶交だ」とかいう言葉を「へへへ」と笑顔で交わしながら、ルーを早々に片づけたのを覚えています。

その後、人前でカレーのルーだけ食べるというのが、しばらくの間、トラウマになって、カレーを食べるときに「ルーだけ食べても許せる派?」と、質問して回っていたのですが、わたし統計によれば、「食べる食べる~」と、「信じられない」がだいたい半々の割合でしたね。

というわけで、世間の親御さんはカレールーだけ食べようとする子どもにきつくお灸をすえることをせず、また、カレールーだけを食べるということは必ずしも世の中の常識でないのだということをしっかりと教えてあげてくださいというのが、本日の教訓です。

パッチワーク人生

名刺を出して挨拶をする。場の空気をあっためるために、色々な話をするかと思うのだけれど、そんなとき、わたしはけっこう得しているなと思うことが多い。自己紹介で話すような内容にインパクトがあって、しかも経歴が一貫していなさすぎるからだ。

まず、名前。ライターという職業をしていると、筆名を決めることもできるから、「本名ですか?」と聞かれることが多い。「ののか」という名前は父が付けた。ドラマ「裸の大将」の主題歌、「野に咲く花のように」から「野の花」→「ののか」と転じたわたしの名前。もう死んでしまった占い師のおじいちゃんも「そんな名前つけたら大変なことになるぞ」と言ったそうだが、案の定、大変な子に育ってしまった。大して悪いとも思ってないけど、ごめんね。長女は会社で立派に勤め上げ、結婚して子ども産んで、みたいな真っ当な人生は送れなさそうです。

次に、出身地。「北海道」というと、おおかたウケが良い。年配の方には「のびのび育ったんだろうねぇ」と目を細められ、北海道というだけでかわいがってもらえることもしばしばある。それから、「実家は牛を飼っているの?それともジャガイモ?」みたいなことも言われる。そこは期待を裏切って大変申し訳ないが、我が家は事務機器を売る自営業をやっています。ちなみに事務所は庭に置いたプレハブです。

そして、出身大学に関しても驚かれる。見るからにパッパラパーであからさまに頭が悪そうに見えるらしいし、少し前まで家が無いから泊めてくれと言っては、人様の家をフラフラして適当なところで寝たり、酔っぱらって居合わせた人と肩を組んで踊ったりするような人間なので、出身が筑波大学ですというとひっくり返られる。わたしの出身大学を知った相手方はけっこうショックを受けているようで何となく申し訳なくなり、「まぁ、推薦ですけどね」というエクスキューズをつけると、「ほら見ろ」と言わんばかりのドヤ顔をする殿方も多いが、部活が終わってからの時期の勉強は毎日14時間くらいしていましたからね。それだけ勉強しても尚、数ⅠAで30点もとれないわたしはご察しの通り、大バカものなんですけど。

そして、前職である。知っている人も多いかと思うが、わたしはカバン屋で働いていた。カバン屋というと、「職人さんですか?」とか「デザイナーさんですか?」と、聞かれてニヤニヤしてしまうのだが、わたしがやっていたのは営業。わかりやすく言えば、BtoBで、百貨店をはじめとした小売店さんにカバンを売るルートセールスだ。自分の勤めていた会社なので、あまり大きなことは言いたくないが、けっこう有名なブランドだったし、ひいき目なしによく買っていただいていたと思う。間違いなく、安定した未来が約束されていた。でも、合わなくて、1年で辞めた。会社の人が悪いとかそういうことではないし、詳しくはどこかで書くけれど、「ひとりで黙々とPOPのトンボを切るのが一番楽しかった」と言うと、少し察していただけるかと思う。

そのほかにも、フランスのボルドーに1年間留学していてフランス語が話せるとか、3歳から英会話を習っていたとか、編集者の先生の元で2年ほどインターンさせてもらっていたとか、松任谷由美の5・7・5で入選したことがあるとか、何かと話せることはあるけれど、話せば話すほど、「経歴ぐちゃぐちゃだけど、どうして君、今ここでライターなんてしているの?」というところに行きつくのだが、でも、そんなことは置いておいて、名刺を渡して3分話す間に、興味を持っていただけることが多いのはものすごくありがたいし、絶対的に得している。

何かを一貫してやってきたという人にはコンプレックスを抱きまくっているけれど、いろんな要素を散りばめて生きる矛盾だらけのパッチワーク人生も悪くないなと思っている今日この頃です。

何を書いたらいいかわからないから、半径5mで起きたことを書くよ

文字を書く仕事をしています。なぜなら、文字を書くことがそんなに嫌にならないからです。最初は楽しいだけだったけど、やっぱりたくさん書いているうちに、もっとこういう風に書きたいとか、型が固まってきたとかそういう悩みというか壁が出てきて、うーんうーん悩むことはあるけど、それでも、やっぱり書くことは楽しいです。それが続けていられるシンプルな理由です。もちろん、お仕事をくださる方々あってのことなのだけど。経験のないわたしに、チャンスをくださって、いつもありがとうございます。

早いものでフリーランスになって半年が経ちます。今はWebの業界にお世話になっているのだけど、ブランディングだとか見せ方の部分だとか色々なことを教えてもらって、新しい刺激がたくさんあって、面白いし、やっぱりみんなカッコいいのだけど、みんなを見れば見るほど、「わたし」が埋没していく気がして、スキルも半端だし、企画はない頭をひねって考えるけど根が面白いわけでもないから、わたしの立ち位置ってなんだろうなぁって思って、才能ないのかなぁって思って、枕を濡らす夜は毎日のようです。わたしは書きたいことを書きたいと思って、会社を辞めたのだったのだけど、どれもこれも中途半端。家にこもって一日中小説を書いているわけでもなし、かと言って、編集スキルを付けようとどこかに所属することもしない。ただ、生活を成り立たせることに精一杯で、飛ぶように過ぎる毎日と流れていくあらゆることに関する「べき論」に押し流されそう、押し流されようと思って、今日の今日まで押し流されて、何を書いたらよいのかも、もはやわからなくなっていました。

ただ、その間で気づいたこともあって、どうやらわたしが、というよりはわたしの身の周りで起きていることは見る人によっては面白く映り、また勇気づけられるようなのです。話していることは何の変哲もないわたしの日常であって、そんな特別なことはないはずなのですが、それでも腹を抱えて笑ってくれる人のあること、涙を流して救われたと言ってくれる人が一人でもあれば、それでいいのではないか。極め付け、わたし自身が楽しければそれでいいのではないかと開き直ることにしました。

「ののかの日常を書いてよ」

もう誰に言われたのか忘れたけれど、誰かには絶対言われたはずなので、わたしの日常と出会った人たち、過去のことなど、私の半径5m圏内で起きた出来事を書こうと思います。

面白くないかもしれないし、ネット上のゴミになるようなことも多いかもしれないけど、まだ見ぬ誰かの希望になりますように。

わたしは、いつか誰かの琴線ぶっちぎる。

ようこそ、わたしの煩悩ファンタジー世界。

家なき子に終止符

特段、面白いことでもないと思っていたから、何かで発表するようなことでもないと思っていたのだけど、半年くらい家がありませんでした。

家がないというと語弊があるな、千葉の奥のほうに大学生の妹の家があって、荷物はそこに置いておかせてもらって居候していたんだけど、取材だとかいろいろで、結局、東京に週6で通っていて、次の日が早いとか、連日東京に出るから交通費がもったいないとか考えていたら、ふらふらするような生活が続いたという感じだ。

その日の気分で帰ったり、帰らなかったり、会いたい人に電話をして泊めてもらったり、1人になりたいときはスーパー銭湯とか、ネカフェに泊まった。布団がないおうちでは床に寝た。元々、外国の空港のトイレで寝たり、48時間高速バスに乗りっぱなしでもぐうすか寝れるタイプの人間だし、虫とか汚さみたいなものもわりと平気だし、無頓着な人間でよかったと心底思っている。

荷物は、ザックと手持ちカバン。入っているものに大したものはなくて、パソコンとカメラに本、貴重品のほかは、メガネとコンタクトの洗浄液と歯ブラシがあれば事足りてしまう。服は着ているもののほかに、もう1着。パジャマは荷物になるから持たないし、借りると着替える手間になるから着ない。起き抜けにいそいそと化粧をしたり、髪の毛をセットしたりして洗面台を占拠するのも、わたしより断然朝が忙しい家主たちに申し訳ない気がするから。だから、セットしなくて良いように、自ずと髪は結わえるように、家を出る直前の化粧は口紅だけになった。

不便じゃないんですか?とか、疲れ取れないでしょ?と、よく聞かれるけれど、慣れれば別にそんなことはない。むしろ、家に帰る前提での軽装で歩くほうが怖い。家を持たない暮らしについて、ミニマリスト的感覚だね、と言ってもらったことがあって嬉しかったけど、正直なところ、生粋のミニマリストなのかは疑わしい。ただ、いつ何時、どんなことが起こっても、自分の身ひとつで何とかできる状態にしておきたいというのは確かだ。そう考えると、ミニマリストの領域に入るのかな、まぁどっちでもいいや。皆さんに決めてもらおう。

帰る家もなく、どこかの会社に囲われるでもなく、実家の、という意味以外に自分の家族もなく、わたしは完全に自由だったし、いつも誰かと一緒だったから寂しくもなかった。だからときどき、憐みの目で見てくる人があったけど、気分を害すのとはまた違う気持ちというか、何と言うかあんまりピンとこなかったように思う。

それでも拠点を持ちたいなと思ったのは、住みたい街が見つかったからだ。波長のあう人たちがたくさんいて、磁場が強い街。もの書き志望の人間があの街で風呂なしアパートに住むなんて、ベタすぎる展開に胸やけがしそうだけど、中学生のときから憧れて、東京にまでわざわざ遊びにいくくらいだったんだから、あの頃のわたしの夢を叶えてあげたと思えばいいか。

ちなみに家に風呂がないと言ったら、父親が嬉々として、引っ越し祝いにたらいを買ってくれることになった。昔、オリーブオイルが凍結するほど寒い家に住んだときは、ストーブでなく、作業用のつなぎを送ってくれた父。やっぱりわたしは、父の子どもだと思う。

下北沢のボロ屋に住むよ。煩悩ファンタジー世界への通行証は、一升瓶か角瓶でよろしくね。